2009/09/26

ホ・オポノポノ



ホ・オポノポノの教えについての本
最近よく聞く「ホ・オポノポノ」って何だろうと思っていたのですが、本日本屋さんで発見(いくつかありましたが)。絶対買ったほうがいい、とは思いませんが凄くいい内容。なのでまずは開いてみることをおすすめ。立ち読みでもいいかも。
ホ・オポノポノとは何ぞや、みたいなことはここには書かないですけれども、凄く納得した一節がありましたのでそれのみ引用させてもらいます。

辛い記憶はトラウマに、よい記憶は執着となって、
私たちが正しい判断をすることの妨げとなっている


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最近痛感しているというか、実際色々な人に言われたりだとか、何かで読んだりとか、何かを見るたびに思うことがあって、それは「自分を幸せにできない人が、人のことを幸せにできるはずがない」ってことなんですね。
以前Twitterに(今はTwitterやめておりますが)「もらったことがないものを、あげられるはずがないと思う」って書いたんだけど、それにも通じるような。っていうか人のことを幸せにするみたいな考えかた自体が傲慢ですよね。誰かのためにって思っててもそれは結局自分のためでしかないし、その意識については自分で責任持てよなって話。
でも渦中に居るとなかなかそれに気付けないし、そういうエリア(みたいなもの)って、突然ガコン!って突入するわけじゃなくてゆるやかな坂道(グラデーション)だったりするし、むしろ他の感情が主だからそれに隠れてて気付いたらあれ?みたいなところまで来てしまっていたりとか。まぁ頭での理解に過ぎないと、その後わかったつもりになっててもあんまり意味なかったりします。

まずは自分がどういう状態なら幸せで、どういうものが好きで、どういう場所が落ち着いて、どういう精神状態が楽なのか……っていうことについて、ていねいに思いを馳せて、書き留めたりなんかして、ずずっと温かいお茶なんかを飲んだりして。そういうことを大切にするべきで、でもそれはそこに対する執着とかではなくて……。まぁ、口で言うのは簡単ですけどね。

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強い人間なんていないのかもしれない。
そして、私より大変な思いをしている人なんて数えきれないくらいいる(あたりまえ)。
もちろん人との比較の問題ではないけれども。

これも昔Twitterに書いたけど、自分の人生がどれだけ充実していたかというのは、自分のことがどれだけ好きになれたかということではかれる気がします。

願わくば(願わくは)、そういうことを人と共有していきたい。

2009/09/23

ADDICTED TO LOVE



ちょっと遅めの話題、ADDICTIONです。
今やTHREEも発売されて久しいですが、久々に大型メイクブランド登場って感じで。どちらも国産というところがポイントかなーと個人的には思ってます。

そしてどっちもメイクアップアーティストがプロデュースしていることを打ち出していますが、切り口が結構異なっていて、ADDICTIONのほうはAYAKOさんだけに完璧NYベースというか。メイクの組み立てかた、カラーラインナップ、あーNARSだなって思ってしまうことしきりで、容器やロゴなどヴィジュアルのデザインからもNARSを感じずにはいられないんだけど、逆に言うとわざとそうしてるのかなという気も。あえて違うものにしたりってことはなかったんだなーと思うと、むしろ潔い?
で、90'sなんですよね。すごく。ADDICTIONって。
「アーティストブランド」というものが90'sだし、何かこう、コレクションのバックステージで……とか、そもそも「モード」みたいなものをメイクに求めるという考えかたが90’sですよね。今そういうこと求めてんの?みんな。どれだけの人がモードなスモーキーアイになりたいの?とゆーよりも、モードって今まだ存在してるの?みたいに凄く疑問に思ってしまう。しかもやってるのがコーセーってところも凄く謎で、どうして今コレを?みたいな……。
もちろん私は90'sもモードもNARSもコレクションメイクもAYAKOさんも大好きですよ。だからこそ思うんだよね。
しかしさすがはコーセーというか、ADDICTIONのカラーラインナップもさることながら、テクスチャーみたいなものが大変よろしく、大化けはないにしても、SUQQUくらいは売れて欲しいなーと願わずにはいられない(それは大化けになっちゃうか)。そこはもうADDICTIONの世界観「外」のところにかかってると思うけど。例えば口コミとか、販売員とか。

頑張って欲しい。(適度に)

THREEは「オーガニック+エッジ感」みたいな打ち出しで、どちらかと言うとRMK的というか、使いやすいし、普通にいいんだろうねーって感じです。衝撃みたいなのはあんまりないけれども、丁度いいし、何よりちゃんとしているというか。安心感があって、隙のないバランス取れてる感じで。こういうのが今求められてるんですかねどうなんですかね。っていうかオーガニックコスメってまだニーズあるんですかね。エコとか。ちょっとその辺、本気で気になるところなんですけど。
だからって「モード」みたいなのに回帰はあり得ないと思うし、若者は別として、みんな何処へ向かっているんだろう、というのは凄く謎。メイクという視点で、ですけど。

色々比較するとやっぱり「カワイイ」「透明感」「ツヤ感」「色気」みたいなのが強いんだろうなと思うし、そういう意味ではADDICTIONは厳しいし、THREEは無難かもしれないし、結局RMKがスゴイ、みたいな話になんのかな。
そんでその中でADDICTIONを支持する私がモテる日はきっと永遠にやってこない、みたいな。はい。わかってます。はいはい。

2009/09/21

OUR PREROGATIVE



日々過ごしていると、ほんとうに色々なことを忘れてしまう。

そういえば、ここ何ヶ月かで、ばたばたと色々な人が亡くなっている。私にとっていちばんショックだったのがピナ・バウシュなんだけど、彼女が凄いヘビー・スモーカーだったという話をきいて、煙草を吸わなければもっと長生きできたのにな、とは全然思わないんですね。煙草もドラッグもお酒も何でも、他のひとに迷惑をかけず、何かから逃げたり追われたりすることなく、また依存することなく(依存というのは、ほんとうに難しい問題だと思うけど)、能動的に楽しんでいるのであれば、いくらでもやればいいと思います。

何か話がそれたようなそれないようなという感じだけど、言いたいのは、ひとはいつ死ぬかわからないから、好きな人には好きってちゃんと言って、周りの人に感謝して、あとは楽しく笑って、機嫌良く過ごしていたいなということ。です。いいことも悪いことも、すべて過ぎて行くのだということをよしもとばななのちいさな本(タイトル失念)に教わったし、そうなると日々の過ごし方が大切になる。

で、4月あたりのお店オープンの頃、フレッシュネスによく行っていたのだけど、あそこのマドラーって、格言みたいなのが書いてあって、それが結構よくてメモしてたのでここにうつしておきます。

・you were right in the first place.
・follow your instinct.
・love your enemy gently.
・do it now. not tomorrow.
・you think too much.

あと「今日から小説を書け」みたいなのもあった気が。
私が世の中でいちばん好きな食べ物は、フレッシュネスのハモンセラーノサンドだと思います。最近全然見かけないけど復刻希望。

2009/09/20

T A I C O C L U B K A W A S A K I

行って参りました。TAICO CLUB KAWASAKI。
結構いろんな人に会えたんですけれども、共通して言えるのは、やっぱり音楽好きだと話がはやい、みたいなことかな。別に音楽談義を交わすわけではないんだけれども。音楽というフィルターで私を知ってもらっている安心感というのはあるかもしれない。場所が場所だけに。というか。

噂ではボロクソ言われてたみたいな話も聞いたけど、川崎のTAICOは最高でした。



えーとPlaidから入って、殆ど芝生に居ました。相対性理論でヘリポート、あと最後ほんとにちょっとだけTheoでビーチステージ行ったけど、あとはずっと芝生。
Plaid→相対性理論→Monolake→Sascha Dive→Holden→一瞬Theoって感じで。

芝生のはほんとどれも良かったんですが、まずPlaidが最高に素晴らしかった。いつかのエレグラ以来だったんですが、何か芸風が多岐に渡っていたというか。最近の全然聴いてなかったのですが、色々ひっくるめて独自の世界観を確立してるなーって感じで。Plaidって何か、アニメっぽいというか漫画っぽいところがあるじゃないですか。まぁ可愛いってことなのかな。それがBlack Dogとの違いだと個人的には思ってるんだけど、そこが凄く出来上がっていた。
だからこう、おおーーーー!スゲーーーーー!っていうよりは、何かニコニコしちゃうというか。ニコニコっていうか、ニヤニヤ?ピースフルなニコニコとはまた違って、もうちょっと同人誌的な感じでしょうか。芝生ステージは音も良くて、広さも良くて、周りは工業地帯で、異空間な様子もとてもよかった。最後にあの「小食ですか?」とか、英語で色々質問してくる映像のやつやったよ。最高でした。

で、ちょっと腹ごしらえをしつつ相対性理論見て、Monolake見ようと戻ろうとしたところで、トイレにiPhone忘れたことに気付き、もうだめかと思った、ほんと。インフォメーションセンター行っても「届いてないですねぇ」だし、まぁそうだよなと思いつつ、TAICOで連絡したい諸々の人のこととか、帰宅してすぐSoftbank Shopへ行くこととか、果ては今月の請求金額とか色々考えてしまった。結局友人2人と、iPhoneを発見してくれた見ず知らずのおふたり(会ってない)によってMonolake時に無傷で私の手元に戻るとゆー信じられない奇跡が起こりました。キヌちゃん、うっちゃん、ほんとありがとう!

Monolakeはインダストリアルな感じでとてもよかった。何と言うか、私はもうロックとかよりダンスミュージックのほうが好きなんじゃないか?nine inch nailsより断然Monolakeだし。という気がします。踊れればいいというわけではもちろんなくて、よく「小説より詩のほうが好き」とか言う人いるじゃないですか。フーンとか思ってましたが今はちょっとそういう気持ちがわかるみたいな。つまり余白があるっていうことなのかな。

で、Sascha Diveなんですが。



私は最近ずっとこれを聴いていて、特にMiss Fitz (Maayan Nidam) が凄くかっこいいなと思っているんだけど、こういうのがかっこいいと思う気持ちと、例えばPatti Smithをかっこいいと思う気持ちとは全然別で、もう少し気軽なヒーリングミュージックみたいな。もうある程度歳とると、やっぱDNAとかMARSみたいなのが時につらくなってきたりもするというか。先日一緒に博多へ行った折に母が、「おかあさんはねぇ、映画はもうラブコメが好き。ハッピーエンドのやつ。だってフランス映画で人生について考えたりすると疲れちゃうんだもん」みたいなこと言ってたが、それと同じような気がします。ちょっと軟派だったりミーハーだったりする感じが聴いてて楽、みたいな。
そんな感じのSascha Dive(ラブコメ)で、ためない、お待たせしない感じはLady GAGA張り。ほんと楽でした。何も考えなくていいというか。本人もヤサ男でいい感じ(軟派度が)。娯楽ですね娯楽。

で最後、Holden……。
もう最初からずーっと素晴らしすぎて、何度か失神しそうになりました、ほんとに。
アルバムは限りなくイマイチだったけど(いつだっけ)、アンタ最高。NICOのチェルシー・ガールをかぶせてたときはもうどうしようかと思いました。パッとしなかったらTheoに移動しようと思ってたけど、全然動けず。
彼はある意味ハーモニー・コリンに近いものがありませんか?

ちょっと途中抜けて、義理でTheo見に行ったけど1曲で断念。何か飽きたっていうんじゃないけど、今のこの、ドイツのダンスミュージックモードの私には、Theoはちょっと。っていうのと、おおーー!ってより、ハイハイ知ってる。みたいな感じで、いつものアレね。というか。失礼な話ですがゴメンナサイ。すぐHoldenに戻ってしまいました。

あと私が相対性理論を好きになる日はもう来ないような気がする。いくら渋谷慶一郎が好きだとしても。です。

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何かダラダラ書いてしまいましたが、沢山の会いたい友達にも会えて、話して、踊って、iPhoneも見つかって、寒くて砂だらけになったけど、ほんと楽しかった!TAICOはピースな雰囲気で、あんまりドラッグのかおりがしないというか。メンツも毎回いいし、適度に空いてるし、音もいいし、文句があるとすれば客のゴミ捨てのマナーだけ!床にもの落ちすぎ。気軽にものをポイ捨てする奴、お前もいつか捨てられるぞ!

以上です編集長。

2009/09/19

おひさしぶりでーす



だいぶご無沙汰しておりましたが、この間は切った髪が伸びたり、コルクの椅子買ったり、TGC行ったり、南極料理人観たり、For Maria聴いて泣いたりしてました。

書きたいことは色々あって、いちばん書きたいのは90'sブームってことなんだけど、まぁそれはまた書くとします。

というか、あのですね。
私は6月に離婚と転職をしたんだけれども、まぁ離婚はともかくとして、転職先が、今までの延長線上でありながら、昔からやりたかったり好きだったりっていう世界なんですよね。具体的にはメイクアップってことなんだけど。ということに今更ながらしみじみしています。

何だろう、まぁ有り難いことだなって話なんですけど。

よく「キャリア」っていう言葉を聞くことがあって、ずっと仕事をしていてこれくらいの歳になってくると、特に女性はすごくはっきり分かれるというか。もちろん、若い頃からの目標を全うしているしっかりとした女性もいるけれども(その場合、例えば「通訳を目指してる」「お嫁さんを目指してる」ってのは重さやすばらしさにおいて同義ですよね)、私みたいにぼんやりと生きてきた人間でも、ふと気付くとやっぱり何というか……、20代では許されていたことがそうではなくなっていたりとか。社会において、世間において、等々。女性だけではないですけどね。
で、私は自分の今までを振り返ると、未経験ながらに好奇心で(あるいは、成り行きとして)進んだ環境、選んだ道で、常に人生一年生的な仕事をして来ているので、キャリアとか言われてもあんまりピンと来ないし、何が出来るんですか?って言われても特に答えられないというのがあって、今回の転職も「たまたまお話をいただいたので」って感じだったんですが、そのお知らせをすると何人かの方に「ようやく念願の仕事に就けたんだね!」みたいなリアクションをいただいて、思い出したというか。

だから恵まれているということなんですけれども。

でも、こういう、仕事でも何でも、私は選ぶ側ではなくて選ばれる側だなっていうのはいつも思っています。自分のことは、決めるけれども。例えば食べたいものや聴きたいもの、好きなもの、内側のことは決める。でも自分自身の、対外側の場合はそうではないというか、選ぶ身分ではないなっていうのは思っています。

それからものづくりをする人、ってひとくちに言っても、それはクリエイターだけとは限らないわけで(もちろんクリエイターの定義にもよるけれども)、ファッションで言えば、デザイナーが居てパタンナーが居て、テキスタイルの世界にはそれぞれの人が居て、スタイリストが居て、ミューズなんかも居たりして、量産における地道な仕事も沢山ある。そういうのをひっくるめたものづくりということが、私は好きだし、それにはそれぞれの人の話す言葉が大事だなとしみじみ思います。

つまり私が好きなのは言葉とか会話ということなんだろうな。
だからって決して文学ではないのだけど。
以前「人が居なきゃ仕事なんてしないよね」って話になったことがあるけど、ほんとにそうだと思う。文学はひとりでもできるかもしれないけど、会話はひとりではできない。編集とか、会話とか、色々な言い方ができると思うけど、つまりはそういうことなのかなと思います。

昔、イラストレーターの浅沼テイジさんに「セルフプロデュースしてなんぼだよ」みたいなことを言われて、そのときは全然やりかたがわからなかった。でも今はおぼろげながらという感じで。仕事とかアイデンティティみたいな部分では、ですけど。
それから「花に例えるとダリアだよね」とも言われたな。そのときはえー!やだ!みたいな感じだったけど、真っ赤な毒々しい花としか思ってなかったなーって。花屋でいろんなダリアを見るたびに、割とそうかもしれないとか思っています、最近は。なんというか、すぐ枯れてしまうし。ここからの人生、また色々あるんだろうなって感じでしょうか。

Charaもアヴリルも離婚してしまって、永遠の愛なんてないのかな、とちょっと哀しくなったりしています。まぁ自己弁護じゃないですけど、別れる愛というのもあると思うけどね。

かなりうざい感じの自己紹介風徒然草になってしまいましたが、本日はこのへんで。
では、これからTAICOに行ってきますんで。行く方は現地でよろしくどうぞ。